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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)3563号 判決 1980年10月06日

原告

喜多郁朗

ほか六名

被告

日本資材株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは各自、各原告に対し、各金四八万六〇七八円宛および右各金員に対する昭和五四年七月三日から各支払済まで各年五分の割合による金員を、各支払え。

二  各原告のその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、各原告に対し、各金一七一万三一八四円宛および右各金員に対する昭和五四年七月三日から各支払済まで各年五分の割合による金員を、各支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  各原告の各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和五三年二月一〇日午後一時四五分頃

2  場所 大阪市都島区都島南通一丁目二一番四一号先交差点(以下、本件交差点という。)上

3  加害車 大型特殊貨物自動車(大阪八八な第四七八号)

右運転者 被告中崎

右所有者 被告会社

4  被害者 訴外亡喜多かの(明治三七年五月一六日生で、本件事故当時、満七三歳の女性)

5  態様 雪印乳業大阪工場南側の国鉄環状線沿いの道路(以下、東西道路という。)を西進し、本件交差点を右折しようとした加害者が、通称、天守線(以下、南北道路という。)の東側歩道(以下、本件歩道という。)上を南から北に向つて歩行中の訴外亡かのに対し、衝突し、これを転倒させた。

6  結果 同日死亡。

二  責任原因

1  被告会社(運行供用者責任、自賠法三条)

被告会社は、加害車を所有し、自己のために運行の用に供していた。

2  被告中崎(一般不法行為責任、民法七〇九条)

右折するに際し、自己の進路上を横断している歩行者がいたのであるから、速度を緩め、あるいは、一時停車する等して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務が存したのに、これを怠つた過失。

三  損害

1  治療関係費(福西病院の治療費、金三万四〇〇〇円を含む。)―合計、金三万九〇〇〇円

但し、各原告が、各七分の一宛、各支払つた。

2  葬儀費―合計、金六一万五〇〇〇円

但し、各原告が、各七分の一宛、各支払つた。

3  逸失利益―合計、金一一一八万七二九一円

(1) 計算

訴外亡かのは、本件事故当時、家族と共に酒類販売業を経営し、年収二七二万〇七七八円を得ており(必要経費を除外した純利益である、金三八八万六八二六円に、訴外亡かのの寄与率七〇%を乗じた金額)、平均余命九・八四年中の七年間は就労可能であつた。そこで生活費の控除割合を三〇%とした上、新ホフマン式により中間利息を控除すると、次の算式のとおり、金一一一八万七二九一円となる。

算式 二七二万〇七七八×〇・七×五・八七四≒一一一八万七二九一

(2) 原告らによる権利の承継

原告らは、訴外亡かのの子として、訴外亡かのに帰属した右3(1)記載の損害賠償請求権を、法定相続分に従い、各七分の一宛、各相続した。

4  慰藉料―合計、金一〇〇〇万円

(1) 訴外亡かのの分―金三〇〇万円(なお、原告らによる相続の点は、右記3(2)のとおり。)

(2) 各原告の分―合計、金七〇〇万円

但し、各原告につき、各七分の一宛。

(3) なお、慰藉料額の算定に当つては、本件事故の約五ケ月後に三年ぶりに、自賠責保険金額が金二〇〇〇万円に引上げられたこと、訴外亡かのの相続人が七名もの多数にのぼつていること、を考慮されたい。

5  弁護士費用―合計、金一二〇万円

但し、各原告につき、各七分の一宛。

6  合計―金二三〇四万一二九一円

四  損害の填補―合計、金一一〇四万九〇〇〇円

1  原告らは、自賠責保険より、金一一〇一万五〇〇〇円、被告らより、金二万四〇〇〇円(福西病院の治療費)(但し、いずれも、各原告につき、各七分の一宛)の各支払を受けた。

2  したがつて、残損害額は、合計、金一一九九万二二九一円(各金一七一万三一八四円宛)となる。

五  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(但し、遅延損害金は、訴状送達の翌日から民法所定年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する認否

請求原因一項1ないし4および6、二項1、三項1、同項2但書、四項1の各事実をいずれも認め、三項3(2)、4(1)( )内の各事実はいずれも不知、その余の各事実をいずれも否認する。

第四被告らの主張

一  過大請求

原告ら主張の逸失利益は、そもそも、次の点において、過大請求である。すなわち、

1  原告らは、訴外亡かのが酒類販売業の経営者であつたとして、年収(純利益)の七〇%を請求しているが、実は、右記酒類販売業の実質的経営者は、原告日出男夫婦であつて、訴外亡かのは、税務申告上の名義人にすぎなかつたもので、この事は、次の諸点(イないしト)に照らして、明らかである。

イ 訴外亡かのは、本件事故当時、満七三歳もの老齢であつて、店の留守番程度の仕事しかしておらず、得意先(一五〇ないし一六〇軒)に対する配達および注文聞きは、すべて原告日出男が、これをなしていた。

ロ 訴外亡かのの死亡後も、右記酒販業の営業実態に変動はなく、何ら人員の補充もなされていない。

ハ 原告日出男の妻明美は、右記酒販業の規模や子供の年齢(上が一五歳、下が一三歳)に照らすと、家事、育児にかゝり切りであつたとは、考えられない。

ニ 原告日出男は、昭和三八年に腎臓結石の手術のために入院した程度で、その後は、食あたり(急性大腸炎)や眼の結膜炎程度の軽微の病気しかした事がなく、健康体であつて、同四七年には、病気になつた妻明美を、遠方の北野病院まで背負つていく程の体力があつた。

ホ 原告日出男の妻明美は、昭和四一年頃から自律神経失調症に罹患して来たものの、本件事故当時には軽快しており、他には胃下垂の状態にあつたのみで、酒販業に差し支える程度の病気は、何ら有していなかつた。

ヘ 原告日出男の長男茂雄は、昭和五二年から同五三年にかけて、腎炎により入院したことがあつただけであり、また、長女恵美子も、空気が悪い事に起因する気管支喘息に罹患しているものの、通院程度の症状にすぎない。

ト ところで、原告日出男の妻明美は、昭和三九年に結婚した当初から、酒店経営の原告日出男の妻として嫁いで来たものであつて、以来原告日出男夫婦が中心となつて、右記酒販業の経営を継続して来た。その事は、確定申告書(青色申告であつて、酒税の関係もあり、正確に記載されている。)に、事業専従者給与として記載されている右記夫婦の金額の方が、訴外亡かのの所得として記載されている金額よりも、多額であることに照らして、明らかである。因に、右記のように、収入の多い原告日出男夫婦を名義上の経営者とせず、専従者とし、収入の少い訴外亡かのを専従者とせず、名義上の経営者としたのは、専ら節税対策を慮つての入れ替え操作にすぎない。なお、営業名義、請求書の名義、銀行預金名義等を訴外亡かのの名義にしてあるのも、右のような操作の必要に基くものであつた。

2  原告らは、訴外亡かのが一家の支柱であつたと考えたためか、生活費の控除割合を三〇%と主張しているが、右記のとおり、訴外亡かのは、形式的な名義人にすぎなかつたもので、何ら一家の支柱に該当するものではない。

3  原告らは、訴外亡かのの平均余命を九・八四年としつゝ、その内の七年間をもつて就労可能年数としているが、通常、高齢者の就労可能年数は、平均余命の半分とするのが、相当であるのみならず、訴外亡かのが今後七年間(満八〇歳まで)もかなりの収入を上げ得るとは、到底考えられない。

二  弁済の抗弁

仮に、適正損害額が算出されたとしても、被告らは、既に左記日時に、原告らに対し、左記金員(合計、金二六万円)を弁済した。

昭和五三年二月一二日(本件事故の二日後)―金一〇万円

同月一五日(初七日)―金三万円

同年三月二九日(四九日)―金三万円

同年八月一五日(初盆)―金五万円

同五四年二月一〇日(一周忌)―金五万円

三  過失相殺の主張

訴外亡かのにも、次のような過失が存したので、大幅な過失相殺を主張する。すなわち、

1  訴外亡かのは、本件事故当時、本件歩道上を、北から南に向つて(したがつて、加害車と対面して)、歩行していたもので、原告ら主張のように、南から北に向つて(したがつて、加害車に背中を向けて)、歩行していたものではない。その事は、次の諸点(イないしニ)に照らし、明らかである。すなわち、

イ 被告中崎は、東西道路から南北道路に右折するに際し、本件交差点手前の一時停止線で、約一分四〇秒間停止し(その理由は、南北道路の交通量が、本件事故当時頃、一分間に三〇ないし三五台と、激しかつたことにあつた。)、この間、特に、南北道路の北行車線上で北進車両が途切れるのを、注視していた(その理由は、南北道路の南方が、国鉄環状線のガード下になつていて、薄暗く、見通しが極めて悪く、南方から北進して来る車両は、急に出て来る形になつていたことにあつた。)ため、仮に、訴外亡かのが、本件歩道上を南から北に向つて歩行していたとすれば、当然、被告中崎の視界内に入つていた筈であるところ、実際には、そのような事は、なかつた。

ロ 加害者に後続して停車中の訴外稲守博の目撃状況によれば、訴外亡かのは、加害車右側中央部付近でふらつとし、その右後輪前に倒れたというのであるから、訴外亡かのが、南から北に向つて歩行して来たとは、考えられない。

ハ 接触痕が、加害車の右サイドバンパーやその右側中央部辺の燃料タンク右上部に残存しており、訴外亡かのは、加害車右側サイドガードの中央前寄りおよび同部上方にある燃料タンク前角部に接触して転倒したものと推測されるから、右記ロと同様に、訴外亡かのが、南から北に向つて歩行して来たとは、考えられない。

ニ 訴外亡かのは、本件事故前、本件事故現場の南方約七〇メートルの所にある都島区役所(訴外亡かのの年齢を考慮に入れても、本件事故現場より、ほぼ二、三分の距離の所にある。)で、社会保険の手続をして、午後一時三〇分頃、立去つているが、本件事故の発生は、その約一五分後であるから、必ずしも、訴外亡かのが右記区役所を出て南から北に向つて帰宅中本件事故に遭遇したものとはいえず、むしろ、右記時間の関係に照らすと、訴外亡かのは、一旦、本件交差点を渡つた後、忘れ物か何かで、右記区役所に急いで引き返し、うわの空で前方不注視のまま、本件歩道上を北から南に向つて、渡ろうとしていたもの、と考えられる。

2  さて、右記1のとおり、訴外亡かのとしては、本件歩道上を北から南に向つて歩行中、車長九・一五メートル、車幅二・四五メートルの加害車が、本件交差点において、右折の方向指示器を出して、既に停車していた(因に、本件交差点に、信号機は設置されていなかつた。)のであるから、加害車の右折を当然予測できたにも拘らず、加害者の右折をやりすごすことなく、既に、加害車が、時速約一〇ないし一五キロメートルで徐行しつつ右折している、本件交差点内に、おそらくは、うつ向いていたか何かで前方不注視のまま、漫然横断して来たものであるから、訴外亡かのに過失が存したことは、明らかである。

3  ところで、被告中崎は、前記のとおり、本件交差点手前で一時停車中、特に、見通不良の南北道路の南方(進行方向からみて、左方)から来る車両(すなわち、北進車両)が途切れるのを注視していた。しかしながら、本件交差点の東北角(進行方向からみて、右方)に対する見通しも、雪印乳業の工場およびその金網フエンスの存在により、極めて悪く、前記加害車の停車位置からは、本件歩道の右(北)方を通行中の人影を認めることはできなかつたのみならず、加害車に死角が存したため、被告中崎が本件歩道の右(北)方から通行して来る人影を、前記停車位置において、確認できたのは、通行人が、本件交差点の北東端まで来た時ぐらいであつた。

さて、被告中崎は、北進車両が途切れたのを見て、右折を開始したが、その際、先ず、右方を注視し、車両も人も通行していないことを確認(したがつて、訴外亡かのは、この時、前記フエンス寄りの、本件交差点から北方に数メートル離れた辺りを、通行しており、死角等の関係で、被告中崎の視界外にあつたもの、と考えられる。)後、次いで、左方を見通しつつ進行を開始したが、その直後に、訴外亡かのと接触するに至つたもので、被告中崎が、眼を右から左に移した、一瞬の間の出来事であつた。

4  以上の次第で、本件事故の発生原因が、主として、訴外亡かのの不注意極りない歩行方法に存したことは、明らかであつて、被告中崎の責任は、免責に近いものというべきである(因に、被告中崎に小刻みな発進、停止の繰返しおよび左右の各確認を求めることは、難きを強いるもので、あまりにも酷に失し、到底許されない。)から、大幅な過失相殺がなされて然るべきである、と考える。

第五被告らの主張に対する原告らの答弁等

一  原告ら主張の逸失利益は、何ら過大請求ではない。

すなわち、

1  訴外亡かのは、本件事故当時、配達以外の一切の仕事(在庫管理、商品の買入れ、陳列、店売りおよび注文の電話受け等)を殆んど一人で切盛していたのに反し、原告日出男は、病弱のため、配達のみを行い、また、その妻明美も、自身病弱の上、病気持ちの子供達をかかえて、通院や家事、育児に精一杯であつた。

2  そのため、訴外亡かのの死亡後、原告日出男夫婦は、自分達および子供達の病院通いやその他の外出時において、店を閉めたりしなければならなくなり、顧客数や売上げに落込みをきたすに至つたのみならず、妻明美は、酒販業維持のため、家事、育児を殆んど行えなくなつているが、夫婦共、肉体的、精神的犠牲を払つて、辛うじて、店を支えているものである。

3  以上の次第で、本件事故当時、訴外亡かのが、正に一家の支柱的な存在であつたことは、疑うべくもない。

二  弁済の抗弁に対し

被告らより、その主張の各日時に、原告らに対し、その主張の各金員が授受された事実は認めるが、それが弁済としてなされた事実は否認する。右授受は、被告らにより、その誠意を示すために、儀礼的贈与として、なされたもので、損害賠償金の内払(すなわち、弁済)として、なされたものではない。

三  過失相殺の主張に対し

争う。

1  被告らは、訴外亡かのの進行方向を、北から南であつた旨主張するが、その論拠は、いずれも薄弱であつて、理由がない。すなわち、

イ 被告らは、訴外亡かのが南から北に向つて歩行していたのであれば、被告中崎がこれに気付かなかつた筈はない旨主張するが、実は、被告中崎は、本件歩道の方向に対し、何らの注意も払つていなかつたのであるから、むしろ、気が付かなかつた方が当然であつた。すなわち、被告中崎は、専ら、北進車両(南北道路のセンターラインの向う側)の流れが途切れることを気にして、いらいらした気分で待機しており、本件歩道の様子を全く見ることなく、右折発進したのみならず、発進の前後において、加害車の運転席上で眼の位置を固定させており、安全確認のため、前方、左右に身体を動すことすら、全く行つていなかつた。

ロ 被告らは、訴外亡かのが加害車の右側面に接触しているから、北から南に歩行して来たものと見るべきである旨主張するけれども、加害車の急角度の右折および内輪差を考慮に入れると、訴外亡かのが南から北に向つて横断していたとしても、右記接触は、十分に起り得たものである。すなわち、訴外亡かのの歩速を時速二・五キロメートル、加害車の速度を時速一〇キロメートル、右折発進時の角度を三〇度と各仮定すると、別紙図面(一)により明らかなとおり、加害車の右側に対する幅寄せ速度は、五キロメートルとなり、訴外亡かのの歩速の二倍となるのみならず、訴外亡かのは、同図面印の位置よりもさらに右側にいなかつた限り、たとえ南から北に向つて横断していたとしても、加害車前面により、跳ねられたことになる。しかも、加害車は、右折発進以降、角度を一層拡大させているのであるから、仮にこれを四五度とすると、別紙図面(二)により明らかなとおり、加害車の右側に対する幅寄せ速度は、七・一キロメートルとなり、右記歩速の三倍近くに達するに至る。加えて、加害車の内輪差が存するから、加害車右側面は、右記歩速をはかるに超えた速度で、益々右側に幅寄せし、ついに、南から北に歩行中の訴外亡かのに接触して、これを巻き込むに至る事態は、容易に起り得たことになる。のみならず、自己の背後に加害車が迫つて来たことに驚いた訴外亡かのが、本能的に佇立したり歩速を緩めた場合には、忽ちにして、加害車右側面に巻き込まれてしまつたであろう。

ハ 被告らは、訴外亡かのが区役所に引き返す途中であつたから、北から南に歩行していたと見ることができる旨主張するが、右主張は、被告らによる、全くの憶測によるものであつて、何らの合理的根拠を有しない。すなわち、そもそも、訴外亡かのが、区役所を午後一時三〇分頃に立去つたと断定できるかどうかは、被告らの主張が、区役所職員に対する本件事故より「一ケ月」も後の「聴取」を根拠にしていると思われること、訴外亡かのは、区役所内で、三ケ所の窓口を順次歩いて回つており、相当の時間を要したと考えられること、しかも、右は、休日の前の、かつ、昼休み終了直後という時間帯(すなわち、繁忙時)に行われていること、等の諸点に照らして考えると、甚だ疑しい。のみならず、訴外亡かのは、区役所退出後、本件歩道上を南から北に向つて横断して、その先にある大和銀行都島支店に赴き、育英資金の返還手続をする予定だつたもので、何よりも、右記手続の関係書類が、本件事故当時に、右記手続未了のままで、バツクの中に残存していた事実が、この事を如実に裏付けている。

ニ 以上の次第で、訴外亡かのが、本件事故当時、南から北に向つて横断中であつたことは、まず、間違いない。

2  然るに、被告中崎は、右折発進するに際し、南北道路のセンターラインの向う側の北進車両にのみ気をとられて、本件歩道上を南から北に向つて横断中の訴外亡かのの方向に対する安全確認に全く意を用いず、かつ、前記死角内の安全を確認するため身体をずらす等の些細な動作すら全くせず、加害車を東西道路のセンターライン右(北)側に大幅に踏み込ませた上、急角度で右折進行したため、大型車両の場合に特に顕著に現われる内輪差により、本件歩道北側部分の南端より約一メートル程度の地点で、加害車右側面をして、訴外亡かのに対し、うしろから追いかけるような状態で、接触させ、これを巻き込んで死亡させるに至つたもので、本件事故の発生原因が、被告中崎の一方的かつ極めて重大な過失に存したことは、明らかである。

3  これに反し、訴外亡かのには、過失相殺に値するような過失は存しない。仮に、訴外亡かのが、加害車をやりすごすため、前記接触地点で佇立していたとしても、何ぴとと雖も、加害車が東西道路のセンターラインを大幅に踏み越えて右折して来ることまでは、到底予測できず、まして、満七三歳もの老婆に、右折時の内輪差に気付き、かつ、とつさに飛び退く等の行動をせよ、と求めること自体、不可能であつた、という外ない。

第六証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一項1ないし4および6の各事実は、いずれも当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない乙第三ないし第一三号証、同第一五ないし第一七号証、同第二一ないし第二四号証、同第二八号証(但し、以上の内、同第三ないし第六号証、同第一二、第一五、第一六、第二一、第二二、第二四、第二八号証の以上一一につき、いずれも後記採用しない部分を除く。)、証人矢島傳次郎の証言と弁論の全趣旨により昭和五三年二月二五日当時の本件事故現場の写真であると認められる検甲第一号証の一ないし四、被告中崎忠雄本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、本件事故の具体的態様等は、以下のとおりであると認められる。すなわち、本件交差点は、市街地に存する、アスフアルト舗装された、平坦な、南北道路(歩車道の区分あり。)と東西道路(歩車道の区分なし。)の交差する所で、信号機は設置されておらず、東西道路東側部分からの見通しは、西方向に対して良、南北各方向に対して不良であり、制限速度は時速四〇キロメートルで、駐車禁止、一時停止の各規制が存し、本件事故当時路面は乾燥していた。なお、本件事故日の午後二時五〇分頃から四時二〇分頃までの間における或る一分間の車両交通量は、南北道路上で三〇台、東西道路上で二台であつた。しかして、本件事故当時における「南北道路、東西道路およびその東側部分、本件歩道およびその南北各部分、南北道路西側の歩道、本件歩道北側部分東側の砂地、南北道路上のガードレール(二ケ所)、センターライン、ゼブラ地帯、ライン、東西道路東側部分の停止線、国鉄環状線ガード下、雪印乳業都島工場およびその金網フエンス」の各位置およびそれに関連する各検尺の結果は、別紙図面(三)に記載のとおり(但し、右記ガード下の位置は、同図面における点線より左=南=側)であつた。なお、同図面に記載しなかつたが、東西道路東側部分にもセンターラインが存在した(但し、右記停止線の東方数メートルの間には、存在しなかつたが)。

なお、加害車(タンクローリー車)は、車長約九・一五メートル、車幅約二・四五メートル、運転席の眼までの高さ約二・一五ないし約二・二メートル(因に、訴外亡かのの身長は、約一・四八メートル)、最大積載量九、三〇〇kgで、その正面真下、右前方等には、死角が存在した。

さて、被告中崎は、東西道路東側部分を、加害者を時速約二〇キロメートルで運転して進行し、その左前角部が停止線にかかる辺りで、右折指示器を出した上、約一分四〇秒間一時停車したが、前記のとおり、その左(南)方には、国鉄環状線ガード下が、その右(北)方には、雪印乳業都島工場が、各存したため、各見通しが悪かつた{殊に、左(南)方向は、北進車両が右記ガード下を急に出て来る形になるため、一層、然り。}ので、右記の間に、北進車両が途切れるのを待機中、特に、左(南)斜め前方の方向を、ややいらいらした気分で注視し、本件歩道の方向を全く見ることをせず(勿論、運転席より身体を動して、周囲の安全を確認することも全くせず)、その後、時速約一五キロメートルで右折発進{なお、加害車の車両は、右記一時停車中においては、東西道路東側部分のセンターラインに相当する位置をややはみ出していた程度であつたが、右折時に内小回りをした(なお、南北道路と東西道路東側部分の交差する東北角が、鈍角となつていたため、右折は、内小回りになり易かつた。)ため、右折中においては、加害車の内輪差(その意味は、別紙図面(四)に記載のとおり=公知=。なお、内小回りをすると、内輪差は、一層拡大する。)も手伝つて、右記センターライン相当位置をかなりはみ出すに至つていた、模様である。}し、左記角部がゼブラ地帯にかかる辺りまで進行したが、その時、加害者の右側面にして車長のほぼ中点辺り(換言すれば、右サイドバンパーの中点およびその上に存した燃料タンクの右側面上部の各付近辺り)を、訴外亡かのに接触転倒させ{すなわち、加害車右側面の一部が、顔を北に背中を南に向けて歩行中の訴外亡かの(したがつて、訴外亡かのは、南から北に向つて、すなわち、加害車の正面前を通過して、歩行していたもの、と推測される。)の着物の一部を、右記内輪差等のために、引つ掛け、さらに、右折進行と共に、これを引き摺つていたため、訴外亡かのをして、右記右折進行に伴つて、右方向(北向きに歩行中の訴外亡かのに即して言うと、東方向)に回転させ始め、最終的には顔を東に向けさせた上、左肩の方から、道路面に転倒させるに至つた。なお、右記転倒時に、訴外亡かのの、頭は北向きないし北東向きに、左肩は下(路面側)向きに、顔は東向きに、各なつていた。}(なお、右記接触時における加害車右側面と本件歩道北側部分の南端との最短距離は、約一・八メートルであつた。)、さらに進行した加害車右後輪で、訴外亡かのの右下腿部を轢過し、間もなく、死亡させるに至つた。因に、訴外亡かのの死因は、その上体が急激にねじる形にされたため、骨盤リングが骨折して内臓損傷が発生するに至つた事を原因とする、心不全であつた。なお、被告中崎は、この時、「コトン」という音を聞き、かつ、それに前後して、後続車運転手の訴外稲守博が右記轢過を知らせるために吹鳴した警笛音をも耳にしたため、その後さらに数メートル前進した所で、停車したものの、轢過に至るまで、訴外亡かのに、全く気付いていなかつた。しかして、被告中崎は、本件事故後において、自分は本件交差点を月に数回の割合で通過していたため、道路状況や交通量は勿論の事、本件歩道の存在をも了知していたのみならず、南北道路はいつも交通量が多くて進入するために難儀を感ずる所だと思つていたものの、本件歩道上は平生歩行者が少なかつたため、つい油断をした旨、反省述懐している。

因に、既述において、訴外亡かのが、接触転倒直前に、顔を北に背中を南に向けて歩行していたものと認定した理由は、次のとおりである。すなわち、<1>訴外亡かのは、右回転をし始めた頃(いくらか右回転した頃)は、北向きだつたが、更に約九〇度右回転して、最終的には東向きになつた(乙第一六号証参照)というのであるから、右回転前の段階では、ほぼ北を向いていたものと考えられる。<2>もし、訴外亡かのが南向きであつたとすれば、加害車のサイドガードは訴外亡かのの大腿部前面より接触することになるから、訴外亡かのは、尻から後頭部を道路面に打撲する結果となる筈である(乙第一三号証参照)が、訴外亡かのの外傷は、右下腿開放性骨折、左顔面(左額部)挫傷、性器出血の三つのみであつて、背面や後頭部には、何らの外傷も存しなかつた。<3>また、右記<2>の打撲の仕方では、右下腿部は轢過され易くなるものの、骨盤に大きな衝撃を与える倒れ方ではない(乙第一三号証参照)。<4>しかしながら、もし、訴外亡かのが北向きであつたとすれば、身体を右(東)回りに回転させつつ前倒れする時、身体左側を下にした姿勢になり得るのみならず、左額部が加害車の突起物等と接触して打撲する可能性も存するほか、身体の回転状況によつては右下腿部も轢過され得るので、骨盤に与える衝撃は大きいものと考えられる(乙第一二、第一三号証各参照)。

以上の理由により、前記のとおり、認定した。

以上の事実を認めることができ、これに反するかのような乙第一、第二六号証、証人矢島傳次郎の証言、これに反する甲第一号証、乙第二号証、同第三ないし第六号証および同第一二、第一五、第一六、第二一、第二二、第二四、第二八号証の各一部、被告中崎忠雄本人尋問の結果の一部は、いずれも、前掲証拠と対比し、採用ないし措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、乙第一二、第一六、第二四号証(いずれも、一部)について、採用しない理由を付言すると、次のとおりである。すなわち、乙第一二号証(一部)は、訴外亡かのの外傷が身体の前面のみに存し背面に全く存しない点を根拠に、訴外亡かのが加害車と対面状態で接触した旨推論しているが、右推論には、訴外亡かのの身体が接触時に右回転している事実を全く看過している憾みが存するので、また、同第一六、第二四号証(各一部)は、もし訴外亡かのが南から北に向つて、すなわち、加害車の正面前を通過して、歩行して来たのであれば、被告中崎が、かなり長い時間(約一分四〇秒間)にわたり一時停車していた際に、これを、通常、見落す筈がない、という点を根拠に、北から南に向つて歩行して来たものと考えるべきである旨推論しているが、右推論には、加害車の正面真下に死角が存し、かつ、加害車の運転席の眼までの高さが約二・一五ないし約二・二メートルであつたのに反し、訴外亡かのの身長が約一・四八メートルであつたこと(したがつて、訴外亡かのが加害車の直前=真下=を歩行していた時には、被告中崎が、右記死角内に入つていた訴外亡かのを発見できなかつた可能性が、存したこと)、仮に、訴外亡かのが右記死角外を歩行していたとしても、被告中崎は、本件歩道の方向(すなわち、加害車のほぼ前方)を、全く見ていなかつたこと、等の事実を全く看過している憾みが存するので、いずれも、これを採用するに由なきものである、と考えたからに外ならない。

因に、被告らの「過失相殺の主張」中の1、ロ、ハは、加害車の内輪差や訴外亡かのの右回転の事実等を考慮外に置いているため、また、同中の1、ニは、それを裏付けるに足る決定的な証拠を欠いているため、いずれも、採用するに由なきものである、と考える。

第二責任原因

1  被告会社(運行供用者責任、自賠法三条)

請求原因二項1の事実は、当事者間に争いがない。そうすると、被告会社には、自賠法三条により、本件事故に基く原告らの各損害を賠償する責任がある。

2  被告中崎(一般不法行為責任、民法七〇九条)

前記第一で認定した事実によれば、被告中崎としては、前記一時停車地点における左右(南北)各方向に対する見通しが悪かつたのみならず、加害車には死角が存在し(なお、被告中崎には、少くとも、その存在を了知する可能性が存したもの、といつて妨げない。)、しかも、加害車の運転席の眼までの高さが二メートル以上もあつた上、さらに、加害車には内輪差まで存在し、加害車の車長の長さ=約九・一五メートル=や前記交差点東北角の角度=鈍角=が右記内輪差を一層拡大させる可能性が存したのであるから、不測の事態に備えて、本件歩道上を含む左右(南北)各方向全般に対して、十二分に眼を配るのみならず、右記死角の存在や右記高さを十分に考慮の上、運転席よりその身体を動かして、加害車の周囲の安全を良く確認し、さらに、内輪差等に思いを廻して、警笛を吹鳴しつつ、大回りに右折する等し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務が存したのに、これらを怠り、主に、左(南)斜め前方の方向を注視したのみで、本件歩道上の方向を全く見ることなく(勿論、運転席より身体を動した上で安全確認をすることも全くせず)、漫然、無警笛のまま、東西道路東側都分のセンターライン相当位置をはみ出して、内小回りに右折した過失により、本件事故を発生させたものであることが明らかである。そうすると、被告中崎には、民法七〇九条により、本件事故に基く原告らの各損害を賠償する責任がある。

第三損害

1  治療関係費―各金五五七一円宛

請求原因三項1の事実は、当事者間に争いがない。そうすると、各原告につき、各金五五七一円宛(但し、円未満切捨)となる。

2  葬儀費―各金六万円宛

原告喜多日出男本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、二によると、訴外亡かのの葬儀が施行され、そのために少くとも金四二万円を超える金員が支払われたことを認めることができ、これに反する程の証拠はない。また、請求原因三項2但書の事実は、当事者間に争いがない。

しかして、右金員中、金四二万円(各原告につき、各金六万円宛)をもつて、相当額である、と考える。

3  逸失利益―各金八三万三九〇九円宛

(1)  計算

年収―成立に争いのない甲第五号証、乙第一九、第二五、第二九、第三〇号証(但し、乙第二五、第二九、第三〇号証の三つにつき、いずれも後記採用しない部分を除く。)、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については原告喜多日出男本人尋問の結果および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第二号証(但し、甲第一、第二号証の二つにつき、いずれも後記採用しない部分を除く。)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第四号証(但し、後記採用しない部分を除く。)、原告喜多日出男本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる同第六ないし第一〇号証、第一一号証の一、二、同第一二ないし第一八号証、証人喜多明美の証言により真正に成立したものと認められる同第一九ないし第二二号証、証人大西清子、同喜多明美の各証言、原告喜多日出男本人尋問の結果(但し、以上三名につき、いずれも後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。すなわち、訴外亡かのは、昭和二七年に夫と死別(当時、約四八歳)後、同二八年六月から酒類販売業(小売業)の営業を開始し、本件事故当時は、三男の原告日出男(同五年九月一六日生)、その妻の明美(同三九年五月に結婚、同一二年一〇月一日生)、右記夫婦の長男茂雄(同四〇年三月九日生、したがつて、本件事故当時満一二歳)、長女恵美子(同四一年七月七日生、したがつて、本件事故当時満一一歳)と同居していたが、老眼のほか健康体で、右記酒販業につき、仕入、陳列、商品整理、店頭における接客、販売、注文取り、注文の電話受け、収支の計算等をし、また、右記営業開始以来、酒販業免許、所得税申告、当座預金取引、定期預金、受融資、自動車保険等の名義人や、仕入先の請求書等の名宛人、自宅増改築時の注文者となつていたが(但し、最後者は、原告日出男と連名であり、しかも、工事名の箇所には、喜多日出男邸と記載されていた。)、他方において、原告日出男は、同二七年から同三五年まで会社勤務をしていたが、その後にこれをやめ、右記酒販業の手伝を開始し、前記のとおり、同三九年には結婚したものの、同三六年および同三八年に腎結石の、同三六年に尿管結石の各手術を受け、同五〇年から同五一年にかけて急性結膜炎に、同五一年に自律神経失調症に、同五二年に急性大腸炎に各罹患し、日頃から病弱であつて(但し、同四七年に妻明美が病気になつた時には、これを病院まで背負つて行つた事があつた。)、本件事故当時は、右記酒販業については、受注先に対する配達およびそれに伴う集金、訴外亡かのの不在時における、店内の仕事や電話番等の仕事をしていたにすぎず、また、その妻明美も、血小板異常過多等により日頃から病弱であつた(なお、同四七年から同五三年にかけて自律神経失調症や胃下垂に罹患し、現在も通院中)のみならず、これまた病弱な長男茂男(同五二年から同五三年にかけて遷延性腎炎に罹患)および長女恵美子(同四八年より気管支喘息=空気が悪い事が原因=に罹患)の育児や家事に追われ、本件事故当時は、右記酒販業については、時々店番をしていた程度にすぎなかつた。

尤も、訴外亡かのの死亡後、原告日出男夫婦らは、格別に人員の補充もせず、一五〇軒ないし一六〇軒の得意先を維持して、前記酒販業を経営(尤も、原告日出男夫婦が共に外出した時等には閉店するため、売上は減少している。)している。

ところで、本件事故直前の一年間(同五二年)の前記酒販業に基く経費控除後の収入は、金三七一万五三五六円であつた。

以上の事実を認めることができ、これに反するかのような甲第二号証、乙第二九、第三〇号証の各一部(以上三つについては、特に、専従者=原告日出男およびその妻明美=の給与が、前記収入のかなりの部分=同五二年分についていえば、金二一四万五〇〇〇円=を占める旨記載されている点)、証人大西清子、同喜多明美の各証言および原告喜多日出男本人尋問の結果の各一部、これに反する甲第一、第四号証、乙第二五号証の各一部は、いずれも前掲証拠および弁論の全趣旨と対比し、採用ないし措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで考えてみるに、前記認定事実によれば、訴外亡かのは、創業以来本件事故当時に至るまで、前記酒販業に対し、それ相応の貢献をして来たものと認められるが、他面において、右記貢献の中には、右記創業時からの慣性に基く、単なる形式的名義人にすぎない部分も含まれていたのではないかと推測され得ないではなく、それに加えて、原告日出男の働き(特に、外回りのそれ)、訴外亡かのの死亡後の経営状態(特に、売上の減少をきたしているものの、格別人員の補充がなされていない点)等を考慮に入れて総合勘案すると、訴外亡かのの、前記年収に対する寄与度は、精々六〇%止まりであつた(反面からいうと、右記程度の寄与度は存した)ものとみるのが、相当である、と考える。

生活費の控除割合―前記年収の項における認定事実のもとに考えてみると、訴外亡かのは、本件事故当時、世帯主に準ずる程度の立場にあつたものと認められるから、その生活費の控除割合を訴外亡かのの年収の四〇%とするのが、相当である、と考える。

就労可能年数―本件事故の直前である昭和五二年における満七三歳の女子(争いのない事実)の平均余命は、一一・二九年である(公知)から、その二分の一は、五・六四五年となるが、その内、五年間(すなわち、年未満切捨)をもつて、相当な就労可能年数である、と考える。

新ホフマン係数―四・三六四三(小数点第五位以下切捨)

算式 三七一万五三五六×〇・六×(一-〇・四=〇・六)×四・三六四三≒五八三万七三六九(計算段階毎に小数点以下切捨)

(2)  原告らの相続した分

成立に争いのない甲第二四ないし第三一号証および弁論の全趣旨を総合すると、請求原因三項3(2)(但し、金額の点を除く。)の事実を認めることができ、これに反する程の証拠はない。

そうすると、各原告につき、各金八三万三九〇九円宛(円未満切捨)となる。

4  慰藉料―各金一二〇万円宛

前記認定の、本件事故の態様、訴外亡かのと原告らとの身分関係、訴外亡かのの本件事故当時の立場(準世帯主)、年齢、訴外亡かのの相続人の数(七人)、その他諸般の事情を総合考慮すると、総額として、金八四〇万円、各原告につき、各金一二〇万円宛(但し、訴外亡かのの慰藉料を金二八〇万円とし、原告らが各金四〇万円宛を各相続したもの=なお、この点については、右記3(2)参照=とみ、また、原告らの固有の各慰藉料を各金八〇万円宛とする。)とするのが、相当である、と考える。

5  総損害額―各金二〇九万九四八〇円宛

6  弁済の抗弁について

被告らにより、その主張の各日時に、原告らに対し、その主張の各金員が授受された事実は、当事者間に争いがない。しかしながら、右授受が、原告らの損害賠償金に対する内金として、すなわち、弁済として、なされた事実は、これを認めるに足る証拠がなく、証人足立宏の証言により真正に成立したものと認められる乙第三二号証、右記証言および弁論の全趣旨を総合すると、右授受は、被告らの誠意を示すために、贈与的意味で、なされたものであることが明らかであるから、結局、被告らの右抗弁は、これを推認するに由なく、理由がない。

第四過失相殺

前記第一で認定した事実によれば、被告中崎に前記過失が存したことは勿論であるが、他方において、本件交差点の状況(特に、南北道路には、本件歩道が付帯していたものの、信号機は設置されていなかつた点)、南北道路の交通量とそれに対応して右折すべく右折指示器を出した上で待機中の加害車の状況、加害車からの左右(南北)各方向に対する見通不良の状況(さらには、そのような状況を作出していた、国鉄環状線ガード下や雪印乳業都島工場およびその金網フエンスの存在状況およびこれを訴外亡かのが了知する可能性が存した点)、加害車の車種、車長、車高(特に、運転席の眼までの高さの点)、死角および内輪差の存在(およびこれらを訴外亡かのが了知する可能性が存した点)、等に照らして考えると、訴外亡かのにも、加害車の具体的動静に対応して、直前横断を差し控えるか、あるいは、可及的速やかに横断を完了する等の、事故回避のための、臨機の措置を怠つた旨の過失が存したことは否定し難く、しかも、右過失も、本件事故の発生の一因を成しているもの、と考えられるから、前記被告中崎の過失の態様、その他諸般の事情も総合考慮の上、原告らの各総損害額の五%を減ずるのを相当と考える。そうすると、原告らの過失相殺後の各損害額は、次の算式のとおり、各金一九九万四五〇六円宛となる。

算式 二〇九万九四八〇×〇・九五≒一九九万四五〇六

第五損害の填補―各金一五七万八四二八円宛

請求原因四項1の事実は、原告らの自認するところであるから、原告らの右過失相殺後の各損害額から右各填補分(各金一五七万八四二八円宛=円未満切捨=)を差し引くと、各残損害額は、各金四一万六〇七八円宛となる。

第六弁護士費用―各金七万円宛

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、各金七万円宛とするのが、相当である。

第七結語

よつて、被告らは各自、各原告に対し、各金四八万六〇七八円宛および右各金員に対する訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五四年七月三日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴各請求はいずれも右の限度で理由があるから正当として認容し、原告らのその余の各請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳澤昇)

図面(一)

<省略>

図面(二)

<省略>

図面(三)

<省略>

図面(四)

<省略>

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